PAJEROのねぐら

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急行"きたぐに"乗車記

急行"きたぐに"という列車があります。
昨年3月までは、定期列車として大阪〜新潟間を結んでいましたが、今では多客時の臨時列車となっています。

定期列車だった時に3回ほど乗車したこともありますが、臨時列車化されて、10両→7両へと短編成化されたとは言え、まだ走っている、となれば乗りに行きたくなるのが人情というもの。
この年末年始の多客時にも臨時列車として走ることが決定したので、乗車しに行ってきました。

住んでいるエリアを通ってるわけでも無く、子供の頃に馴染みがあった訳でもない(むしろ知らなかった)この列車になぜそんなに入れ込んでいるかというと、国鉄が開発した昼夜兼行の特急型車両、"583系"*1で運行されている貴重な列車の一つになっているからなのです。
鉄道少年だった時代から、昼間は座席・夜は寝台という他には見ない構造に、乗ってみたい・見てみたいという思いが強かったのですが、住んでいるエリアではお目にかからない車両だったので、乗車できたのは成人して子供ができてからとなってしまいました。

そのような思いで計画された今回の旅でしたが、当初の予定では元旦に出発する予定でした。
ところが、年末から年始にかけて、娘→息子→自分とインフルエンザのリレーが行われた結果、元旦出発は不可能に。
乗車変更をしに行ったら、1/5の新潟→大阪は寝台の下段が空いていなく、逆に大阪→新潟であれば下段も空いていたので、乗車日だけでなくすべての切符を逆回りに変更してもらって今回の旅に行ってくることが出来ました。

1/5、息子が保育園の年中さんだった時のお友達で、今では秋田に引っ越してしまったお友達がこちらに出てこられていたので、何家族かでお昼ごはんを一緒に食べに行きました。
みんなと別れたら、ちょうど出発の時間となりました。いよいよ"きたぐに"乗車の旅の始まりです。
中央線で東京駅まで向かってから、東京発15:10分のN700系"のぞみ"で名古屋まで。そういや、新幹線を名古屋で降りるのって産まれて初めての経験でした。
一本前の"ひかり"が発車する時に、何らかのトラブルで発車が遅れていたので乗車した"のぞみ"も三島付近で若干遅れましたが、名古屋到着までには所定の時間に戻っていました。遅延が拡大するんでは無しに、きっちり回復するんだから大したもんだなぁ。

名古屋から岐阜まで新快速に乗った後、この列車の入線を待ちます。


特急ひだ 16号・36号
岐阜駅で分割されて、16号は名古屋へ、36号は大阪へとそれぞれ向かいます。
乗車したのは36号。
我が家の子供達は分割の瞬間を楽しそうに眺めてました。
その間に、自分は自由席の確保をしに2号車へ。
編成を分割する時に一旦ドアが閉まってびっくりしたのは内緒です。

JR東海キハ85系で運行されているこの列車も、こういうチャンスでもないと乗れません。
前から気になる存在ではあったので、乗車することができてよかったです。

自由席は普段は空いているらしいのですが、帰省客が多いこの時期は結構混んでいて、次の停車駅の大垣でようやく家族全員が座れました。

車内はご覧のようにハイデッカー構造になっていて、昼間であれば眺めがよさそうです。なかなか快適な車両で、エンジン音がしなければディーゼルカーだということを忘れてしまいそう。
高山線内での行き違い遅れで10分近く遅れて岐阜に到着した"ひだ"でしたが、大阪到着はほぼ所定の時間。約二時間の乗車時間、気がついたらあっという間。ディーゼルカーとは思えない快足っぷりを堪能できました。
新幹線もいいけど、急いでいないときは在来線の特急ってのもいいですよね。

大阪到着がほぼ20時。"きたぐに"の入線は23:03なので、あと3時間ほどあります。


"特急"の表示ばかりが目立つなか、唯一"急行"なのが"きたぐに"です。
定期便ではなくなってしまいましたが、JR線上で残る貴重な急行です。

お腹も減ったことだし、ここいらで夕飯にします。
子連れでも入りやすいお店ということで、駅ビルの中のお好み焼き屋さんに。これなら、お店を探しまわらないでもすみます。
のんびりと夕飯を食べてから大阪駅に戻ったら21時半頃。


昔からそうなのですが、なぜか北陸線方面行きではない"サンライズ"も、11番のりばに到着するんですよねぇ...
"特急"表記はゴシック体なのに、"急行"表記は明朝体なのも面白い。

ここで、息子のリクエストでもあった、大阪環状線の201系に乗りに行く事に。
(大阪についたら201系に乗りたい!と新幹線の中から言ってたんですよねぇ...)
オリジナルと比べると外観が変わってしまっているのは大変残念なのですが、電機子チョッパ制御の音は現役そのもの。
ものすごく久しぶりにチョッパ制御の磁歪音を聞くことができたのが、涙が出そうになるほど嬉しかった。

#つまりは、自分も乗りたかったのです(^^ゞ

再び大阪駅に戻ってきたのが22時40分頃。きたぐにが入線する隣のホーム、10番のりば*2へ移動して入線を待ちます。


D700+AF-S 70-200/2.8G ED VRII
急行きたぐに大阪駅入線。定期列車時代ならあと3両長かったので最後尾の車両はフレームに収まりませんでしたが、7両に短編成化された今は編成の全部を収めることが出来る様になりました。


入線してきた車両を見たら、下回りには結構雪がついてました。車庫で取って来るもんだと思っていたんでちょっとびっくり。

入線してくるまでは寒さで不機嫌だった子供たちも、現物を見たら大興奮。娘も"わぁい、きたぐにのゴッパーサンだ〜"とお喜び。*3
車内に入ってからも暫くの間は自分たちの寝台で楽しんでいました。寝台列車って何だかわくわくしますよね。子供には尚更のことだと思います。
京都を過ぎたあたり、発車して30分ぐらいでようやく子供たち撃沈。。。zzzZZ
明日の朝までよく寝てねん。

定期列車だった時代は、京都から先は東海道線北陸本線と経由していたんですが、臨時化されてからは、湖西線を経由するようになりました。
また、自由席車両が無くなったので、車内放送で"自由席は連結していません"と放送していたのが印象的でした。

自分も敦賀到着前には撃沈。。。zzzZZ

あ、そういや、"きたぐに"の寝台で一人で寝たのって初めてだ。今までは息子が一緒だったから...

翌朝目覚めたのは5時半頃。長岡のちょっと手前です。風が強くて10分弱ぐらい遅れていたみたいですが、それ以外はなんの問題もなく走っていました。どうせならもう少し遅れたほうが乗車時間が伸びていいのに...なんて不謹慎なこともちょっと考えたり(^^ゞ



あいていた上段寝台からの車内の眺め。高さが2m近くあるのでかなり高いです。高さは本当に天井スレスレ。

窓の外を見てみると、そこは雪国でした。3日〜4日にかけては結構な大雪が降ったらしいので、ウヤにもならずに走ってくれたことに感謝です。
結局、新潟駅には所定より1分遅れで到着。


D700+AF-S 70-200/2.8G ED VRII

"きたぐに"が車庫に回送していくのを見送ってから、ようやく帰路へつきます。

#今回も観光の類は皆無でした(^^ゞ

新潟から乗車したのは200系新幹線。
これも定期運用は今度の3月までとなりました。
高崎で200系を降りて湘南新宿ラインで新宿を目指そうと思ったら、残念ながらボックス席に座れなかったので、次の高崎線で上野を目指すことに。旅の最終地点は上野駅の地平ホームとなりました。

東京駅で中央線に乗ったら、表から手を振られたので誰だろう?と思ったら、なんと昨日お昼ごはんを一緒に食べたお友達一家でした。これからご自宅に戻るところだったそうで、今回の旅の始まりと終わりでお会いするとはかなりビックリ。


生きているゴッパーサンの寝台に乗りたい、と言う思いだけで企画した今回の旅ですが、息子も娘も大変喜んでくれたようです。

正直、"きたぐに(のゴッパーサン)"は車齢も車齢なら*4利用客も低迷しているし、北陸新幹線開業も現実のものとなってきた今、臨時で走ってるとはいえいつまで走ってくれるかわかりません。

今回がおそらく最後になるであろう乗車機会に、再び恵まれたことに大変感謝です。

*1:通称"ゴッパーサン"

*2:JR西日本では○番線ではなく、○番のりば、という言い方をします

*3:娘はまだ4歳です

*4:昭和40年台の製造です

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